深夜放送から流れていた日本のフォークやロック 第一部
何気なくシュガーベイヴを聞いていて、そういえば大貫さんはどうしているのかと思ったのがきっかけで、その頃聞いてたアーティストたちをまた見直してみようと思いました。当時、家には親戚からもらったシングル盤サイズの小さなレコードプレーヤーがありました。ただ、まだ中学生で小遣いも少なくレコードは滅多に買えません。ステレオセットなどもっての外。そんな時日本のフォークやロックをかけてくれるのはラジオは深夜放送と「コッキーポップ」、「ヴァイタリスフォークヴィレッジ」、そしてテレビはTVKの「ヤングインパルス」でした。司会は神太郎さん。当時は邦楽も洋楽も毎日のように新しいグループがデビューしていました。私はほとんど洋楽でしたが、普通に生活していく中で自然と体に日本のフォークやロックが入っていたみたいです。そんなわけで買うレコードはほとんど洋楽でした。今残っているのはほとんど当時エアチェックしたカセットテープです。音はそんなによくはないですけどもできるだけいい音にした、その時代の特に印象の残っているアーティストたちを追々載せていきます。それぞれのコアなファンにはかなわないですけど。
新宿の西口地下広場にはたくさんの人たちが集まってギターに合わせて歌を歌っていました。その後学生運動に発展してしまいますが、歌っていた曲は岡林信康や高田渡など反戦や当時の政治を茶化した歌で、「友よ」や「ガイコツの唄」や「自衛隊に入ろう」など学校に戻ってからも口ずさんでいた歌です。とにかくみんなエネルギーや情熱が半端ないほどあった時代です。
特集 『くそくらえ節』誕生時の岡林信康本人による解説
  • 第1回 赤い鳥Open or Close
    ヤマハのライト・ミュージック・コンテストで優勝した赤い鳥のインパクトは強烈でした。五人の素晴らしい演奏とハーモニーは鳥肌ものでした。私が求めていたグループでした。竹田の子守歌一曲聞けばわかると思います。同じコンテストに出場したオフコースや財津さんたちが彼らに負けたという事実もこの第3回のコンテストが今も語られる理由になっています。
    潤子さんは今も小田和正さんを“小田くん”って呼んでいます。その後、赤い鳥の中から二組の夫婦が生まれ、その二組がハイファイセット・紙風船という二つのグループになりました。“紙風船”というのは赤い鳥の曲名でもありました。最近久しぶりにテレビで見ました。泰代さんは関西弁のおっかあになってました。後藤さんの方は、頭がとうとう……。


    「よりそって二人」はハイファイセット初のオリジナル曲で、今も好きな名曲です。次の「海辺の避暑地に」はフランス映画のような、倉本聰さんのドラマの挿入歌のようなそんなメロディが好きな一曲です。潤子さんが山本さんの死を乗り越え、活動を再開して、この歌を歌ってくれる日が来るのを待っています。

  • 第2回 フォーク・クルセダーズOpen or Close
    フォークルの「帰って来たヨッパライ」は私が自分の小遣いで買った最初のレコード。ラジオから流れてきたこの曲を聞いた瞬間に“このレコード買おう”と即決。あっと言う間に3人は有名人になり、そしてあっと言う間に解散。アルバムは3枚(『ハレンチ』は自主製作盤なので除く)。そのうち2枚がライヴ盤でした。テレビにも出ていて、マエタケさんとの『メイトセブン』は毎週見ていました。“アングラ”という言葉と関西フォークを知ったのはこのグループのおかげです。
    今考えても60年代の日本のフォークの流れの中でフォーク・クルセダースはその名の通り、日本フォーク界に突然現れた十字軍でした。自主製作盤を除き、1枚のスタジオアルバムと2枚のライヴアルバムを発表しただけで一年で解散してしまいました。加藤さんはロックに、端田さんはフォークを続け、北山さんは医者の道へ。そして現在北山さん一人だけになってしまいました。

    「何のために」は反戦歌で、はしだのりひこがメインボーカルです。「戦争は知らない」は寺山修司の素晴らしい詩です。ライヴ盤に入っているこの曲は学校のサークルで歌っていました。「さすらいのヨッパライ」は「帰って来たヨッパライ」の続編のような曲。同じようにヴォーカルの音声を変えています。そして、レコードが発禁になった「イムジン河」は2000年を過ぎてからやっと聞くことができた名曲です。

  • 第3回 五つの赤い風船/ジャックスOpen or Close
    この頃のフォーク系のグループは圧倒的に関西のグループが多かった気がします。URCレコードから出たアルバムは下のように高田渡と赤い風船が片面ずつというへんなレコードでした。赤い風船はサークルの先輩たちのグループがコピーをしていたので、それで曲も覚えてしまいました。「遠い世界に」はサークルの主題歌みたいなもので、コンサートではラストでみんなで歌っていました。西岡さんもそうですが、やはり関西人は曲間のしゃべりが達者で面白かったです。今も健在で嬉しい限りです。
    有名な「遠い世界に」はライヴ盤です。この曲はアルフィーの坂崎さんがよくこのライヴの西岡さんのマネをしています。1フレーズずつ歌詞をお客さんに伝えていく作業は私もやらされたことがあって、歌わないで次の詞を言う作業は結構詞が出てこないもんです。





    ジャックスのサウンド世界は当時、そして今でも唯一無二だと思います。『からっぽの世界』の“僕死んじゃったのかなあ”っていうフレーズはビクッとしました。20代でこんな詞を書いて、「こんな不思議な音で綴っていく人たちとはどんな人たちなのか」とか「美しい詞なのになんでこんなふうに歌うのか」とか、とにかくインパクトがありました。ただ2枚のアルバムで解散。その後に早川義男さんは名曲『サルビアの花』を発表します。
    フォーククルセダースの加藤さんがこのジャックスが好きみたいで、フォークルのコンサートアルバムでジャックスの曲を3曲も演奏しています。この中ではやはり『時計をとめて』が一番受け入れやすく、今もいろいろな人に歌われる名曲だと思います。ただ、ジャックスバージョンはこの曲でさえ当然“ジャックスの世界”に入ったサウンドです。水橋さんのヴォーカルがこの世界にこの曲を引き込んでいるのかも。

  • 第4回 吉田拓郎と加川良Open or Close
    拓郎は「結婚しようよ」が大ヒットしたおかげで、一躍脚光を浴びてしまいました。その女の子みたいなルックスやテレビに絶対出ないスタンスが話題になりました。本人談だと広島からアイドルになるつもりで東京に出てきたようなので、キャーキャー言われるのがまんざらでもなかったのかもしれません。
    『元気です』が発売されるときは友人の間でも話題になりました。みんなの期待も大きかったと思います。このアルバムは期待を裏切らない素晴らしい作品で今も愛聴盤です。ちなみに拓郎の『元気です』に「加川良への手紙」という曲が入っています。次の『伽草子』は結婚した四角佳子とデュエットなんかしてちょっとがっかり。
    今考えると拓郎の奥さんになった三人は三人とも天然でポワーンというタイプの不思議ちゃんでした。拓郎の好みはずーと変わらなかったのですね。
    中島みゆき姉さんが拓郎のために書いた曲のように種明かしをしないでほしかった。あの頃はみんなハイライトを吸ったりしていたんだから。

    フォークルが解散したあとにラジオから聞こえてきた髙田渡さんとエンケンと加川良さんの歌。69年から70年にかけて登場したこの三人はその登場曲もインパクトの強い曲でした。特に加川良さんの「教訓I」は強烈なメッセージとして心に響きました。それは岡林の歌、「ガイコツの歌」に通じるものも感じたものです。
    加川さんはその声のでかさとともに歌詞に込められたメッセージがどーんと心に響いてきます
  • 閑話休題(第5回への背景)Open or Close
    60年代は岡林信康と高石友也をはじめとする関西フォークの独壇場でした。そんな中から関東に居を移して活動し始めたのが渡さんでした。『自衛隊に入ろう』の頃は関西で活動していて、この曲はあの赤い風船との変なアルバムに入っています。関西フォークの一員という思いが吉祥寺で見かけるようになってからやっと変わりました。その当時はジャズ喫茶の他にもロック喫茶とかフォーク喫茶とかいうレコードをJBLやアルテックのでっかいスピーカーで一日中かけてくれる喫茶店が増えてきた時代です。当時は家が調布、学校が南千住、バイト先は大崎なので渋谷と新宿は通り道。吉祥寺は井の頭線で一本でした。喫茶ではなくバーだったら未成年でしたから知らないままだったかもしれません。洋楽好きのため吉祥寺では「赤毛とソバカス」に時々行っていました。そんな町に「ぐゎらん堂」もあったのです。駅前には卵屋さんがあって、もみ殻の入った箱に卵がたくさん並んでいました。本当に卵だけの店でした。そして軒の低い店がゴチャゴチャと並んでいた一角はワンダーランドでした。府中にも似たような所があったように記憶しています。その後、いわゆるライヴハウス(この言葉はいつから言うようになったのか記憶にありません)と呼べる「曼陀羅」ができました。
    渋谷だと「ジァンジァン」がそのライヴハウス、そしてロック喫茶が「屋根裏」でした。その「屋根裏」で見たのがエンケンこと遠藤賢司さんです。
    大変局地的な情報ですが、なんと調布にもロック喫茶がその頃にオープンしたのです。調布と布田の中間くらいの場所で家から歩いてすぐの所でした。茶房『ろ』という名前でした。
  • 第5回 高田渡&遠藤賢司Open or Close
    晩年の渡さんの飄々とした風体は覚えている方も多いと思います。そばでずっと見ていたい好々爺っていう感じですね。ライヴの最中に舞台で寝てしまう姿はなんとなく志ん生師匠を彷彿とさせていました。奥さんのことを唄ったコーヒーブルースをずっと歌い続けていたことも素敵なことだと思います。それとともに辛辣な体制への批判をたっぷりの皮肉歌詞にのせて歌い続けていました。煙もくもくの焼き鳥の「いせや」で渡さんをつい探してしまいますよね。旅先の北の釧路で亡くなったのも吟遊詩人「高田渡」らしい生き方である意味うらやましかったです。


    エンケンさんと言えば猫なんですね。猫と写っている写真が雑誌に結構載っていました。『ほんとだよ』を初めて聞いたときは、不思議なギターの音色が特に印象に残っています。その後キャラメルママをバックにロックへと演奏も風貌も爆発的に変貌していきました。ハードフォークとはいいネーミングです。残念ながら逝ってしまいました。

  • 第6回 谷川俊太郎と小室等と六文銭Open or Close
    中学の時にはじめて買ったギターが4500円。その時コンビを組んだ友人が持っていたのがPPMフォロワーズのソノシートでした。初心者にはスリーフィンガーは難しくてなんとかツーフィンガーでパフを演奏していました。小室さんはギターの最初の先生だったわけです。小室さんといえば切っても切れないのが谷川俊太郎さん。谷川さんの詞は多くのシンガーが歌っていますが圧倒的に多くの曲が小室さんによって作られています、今でも。谷川さんといえばアトムの人くらいしか当時は知識がありませんでした。当時のテレビで俺たちシリーズというのがありまして、2作目の『俺たちの朝』はかかさず見ていました。その主題歌が谷川さんと小室さんのコンビです。この鎌倉を舞台としたドラマは是非10代の人たちに見てほしい、オッス、カーコ、チューの三人が繰り広げる、昭和の夢のある青春物語です。

    青空に問いかけて(松崎しげる)

    六文銭を聞くようになった時は四角佳子さんと及川恒平さんがいる二代目になっていました。初代にその後いろいろなグループのコンサートで顔を出すギター演奏の大御所石川鷹彦さんがいたんですね。恒平さんと四角さんは例えればフリートウッド・マックのリンジー・バッキンガムとスティービー・ニックス。四角さんはその後拓郎さんの奥さんになって、ラジオに一緒に出てました。ちょっと不思議ちゃんでした。
    雨が空から降れば
    遠面影橋から(及川恒平ライヴ)
  • 第7回 はっぴいえんどOpen or Close
    日本のロックははっぴいえんどから始まったと言っても過言ではありません。もちろん内田裕也系の英語で歌うロックはありました。ただ、日本で日本人が英語で歌ったレコードは全く買う気がしませんでした。英語で歌われる限り、洋楽ファンだった私はどうしても欧米のグループと比較してしまうからです。そこに登場したはっぴいえんどは強烈なインパクトでした。一曲目が“お正月と言えば……”っていう歌詞がブルース調で歌われるのです。松本隆氏の今までにない言葉遊びの入った歌詞と林静一氏のジャケットイラストはベストマッチング。これこそ日本のロックだと歓喜したものです。好きだった曲を選んだら大滝さんの曲になってしまいました。
    細野さんが影響を受けたのがモビーグレープ。そのセカンドから“He”のイントロを。
    “He”のイントロ(モビーグレープ)
    このギターワークは聞いたことがありませんか。“夏なんです”で似たテクニックが使われています。
    はっぴいえんど自体のコンサートは行ったことはないのですが、『ティンパンアレーフェスティバル』というコンサートに行きまして、その時の頭にリボンをつけた大滝さんの姿が忘れられません。



    三枚目のアルバムは驚きでした。数あるコンサートの中でベストだといまだに思っているのがサンプラでのリトル・フィート。そのリトル・フィートの御大ロウウェル・ジョージが参加したのです。その後鈴木さんのギターはブルースからロウウェル直伝のスライドに変貌を遂げます。
    アルバムのクレジットにあるメンバーの順番が3枚とも違っていて興味深し。何か意味があるんでしょうか。
    ゆでめん-鈴木/大滝/細野/松本
    風街ろまん-松本/細野/大滝/鈴木
    happy end-細野/大滝/松本/鈴木

  • 第8回 吉田美奈子&大貫妙子Open or Close
    ティンパンにはかかせない二人です。『ティンパンアレーフェスティバル』では、大貫さんはシュガーベイヴでした。シュガーベイヴの音は何かバンドとしてのバランスが少し悪かったような印象が残っています。多分山下、大貫の二人が目立ってしまっていたせいかも。このフェスティバルで一番印象に残ったのが吉田美奈子さんでした。その小さな体からはとても想像できない声量のヴォーカルは圧巻でした。今でも日本ではトップヴォーカリストの一人だと思っています。特にプロデューサーとしての山下達郎さんとは素晴らしいコンビだったと思います。なんで別れてしまったのか、残念です。一枚目のアルバムはペーター佐藤さんのイラストでおしゃれ。(ユーミンのコバルトアワーもペーターさん)
    このアルバムの“チャイニーズスープ”は悪いけどユーミンのオリジナルより好きです。この次のアルバムである『フラッパー』はどの曲も素晴らしい名盤です。大滝さんの『夢で逢えたら』はこのアルバムに入っています。是非必聴を。



    大貫さんといえば坂本教授とのコンビです。バックコーラスからティンパンファミリーを従え、シンガーソングライターに。シュガーベイヴの頃の曲“いつも通り”はまだ歌われているのでしょうか。その頃から気持ちのいい大貫サウンドは変わっていません。そんな中、異色だったのが“ピーターラビットと私”でした。こんなかわいい曲を作るんだとびっくり。ただ、歌詞にはちょっとダークなピーターがいましたけど。この曲のせいでか、その後はコマーシャルやみんなの歌で大貫さんの声を聞く機会が増えました。
    こんな素晴らしい二人にずーとバックコーラスをつけてもらってユーミンもラッキーだったと思います。
  • 第9回 小坂忠&ブレッド&バターOpen or Close
    またまたティンパン系の二組。学生時代に先輩から聞かされて知ったのが小坂忠&フォージョーハーフでした。メンバーには後にキャメル・ママを結成する林立夫と松任谷正隆、そして後藤次利というそうそうたるメンバーがいました。先輩から借りたのは『もっともっと』っていうアルバムのカセットテープです。その後に細野さんたちとの繋がりを知りました。ソロアルバムは細野さん色が濃く、小坂忠自身の印象があまり残っていません。そして、はじめて買ったレコードが『ほうろう』です。これは今でも結構お気に入りのアルバムで、名曲『機関車』もティンパンのバックでアレンジを変えて歌われています。もちろん、第8回のお二人もコーラスで参加しています。


    サンプラでのコンサートではじめて生で聞いたブレバタは素晴らしくハイトーンのハーモニーは抜群でした。特に『ともしび』という曲はレコードの何倍も素晴らしくしばらく耳に残っていました。ティンパンの参加したアルバム『バーベキュー』以降、よく耳にするようになった曲『ピンクシャドウ』はいまだに歌い続けられています。この曲もアルバム『マハエ』で再びブレバタらしいサウンドとなって歌われています。でも、一番好きなアルバムは『マンディ・モーニング』なのでした。

  • 第10回 金子マリ&カルメン・マキOpen or Close
    このお二人は寺山修司系といえばいいんでしょうか。多分今でも仲良しの二人だと思います。子分的立場にあのギタリストのチャーがいます。マリさんを知ったのは深夜放送から。金子マリ&バックスバニーというグループでした。ジャニス・ジョプリンの「Piece of My Heart」だったと思うんですけど、日本人でこの曲を歌って聞かせられることに驚きました。その後に《下北沢のジャニス》と呼ばれていることを知って納得。とにかくパワフルとはこの人のことです。


    マキさんもパワフルでは負けていません。ただデビューがフォークだったので、『時には母のない子のように』を淡々と表情も変えずに歌い、ヤギに引かれて行ったマキさんがOZとなって戻ってきた時は最初は別人だと思いました。イアン・ギランのようなシャウト唱法にはうれしくなりました。当時の日本では女性でこんなシャウト唱法をする人はいませんでしたから。ただ、しゃべり方からくる印象はちょっと小生意気で偏屈な小娘でした。何かに常に反発しているような。それが時を重ねて本当にいいヴォーカリストになりましたね。今もロックしている姿やブログを読んだりすると、世の中を斜めからしか見られなかった私と同じ匂いを感じました。「私は風」はシングルバージョンです。アルバムバージョンの前と後ろがカットされていて聞いたあとのイメージが全く違います。曲の構成としては『天国への階段』かな。
  • 閑話休題(元彼再開シチュエーション三人三様)Open or Close
    三人とは五輪真弓・荒井由美・竹内まりやさんです。三人ともほぼ私と年代が同じです。突然の元彼との再会にもいろいろなシチュエーションがあるもので、三人の特徴がよく歌詞に表れています。
    内容から推し量ると一番若いのがまだ学生の匂いのするユーミン。そして次が竹内まりや。五輪さんはやはりオトナになって、いろいろ経験を積んだ後の再会です。この三人の中で竹内さんだけが声をかけてませんので再会とは言わないかも。ただ、三曲とも聞いているだけで、場面が頭の中でPVとなります。
    余談ですが、曲の入っている荒井由美の四枚目のアルバムが発売された時期はは私が働き始めたこともあって、聞き込む時間が少なくなってしまっていたので他の三枚より印象が少し薄いのですが、ただこのアルバムの後に出たシングル『潮風にちぎれて』で描かれている女の子がユーミンの描く何人もの女の子の中でも一番のお気に入りで、そんなせいで一番好きな曲でした。
    五輪さんのこの曲の入っている『窓』というアルバムはわりと好きなアルバムです。




第二部へつづく